yakyuukiroku’s blog

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阪神タイガース永久欠番列伝

今回は阪神タイガース永久欠番をご紹介していきます!

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まず最初に紹介するのは

 

背番号10

 

この背番号を背負っていたのは初代ミスタータイガースこと藤村富美男選手です!

 

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数々の打撃タイトルを獲得した藤村選手ですが、タイガース初のプロ野球公式戦にて先発を務めたのがこの藤村選手。

 

まさにタイガースの歴史を語る上で外せない大選手ですね!

 

設立当初のタイガースはつねに選手不足。

同僚の景浦選手と同じく内野を任された藤村選手は初代本塁打王に輝く2本塁打を記録します。

 

その後、完全に二塁手として定着しますが、同僚の活躍に隠れて2番セカンドとして地道にタイガースを支えます。

 

終戦後、三塁に転向した藤村は戦力の落ちたタイガースの中で4番に抜擢されます。

 

1947年には現在も語り継がれるダイナマイト打線の4番としてリーグ優勝に貢献。

三塁手として初代ベストナインにも選ばれました。

 

その後も 2度のホームラン王や5度の打点王など圧倒的な記録を残した藤村ですが、なぜ彼が初代ミスタータイガースと言われるのか気になりませんか?

 

いろんな理由はありますが、一番の理由はそのプレースタイルにあるでしょう。

 

当時使用していたバットは物干し竿と言われるほど長いバットで通常と比べて8cmも長かったそうで、そのデカデカとしたバットで長打を量産します。

 

守っても強肩を生かしたプレーが特徴で、三塁線の際どい打球には素手で捕球してランナーを封殺するなど華麗な守備で観客を沸かせます。

 

リーグが二つに分れるした際に同僚の選手が引き抜かれる中、タイガースに居残りチームを支えまさに獅子奮迅の活躍を見せたことも大きいでしょう。

 

ただ、その豪快な性格やファンを重んじる姿勢には反感も多く、引退会見の際にはホテルの一室や球団事務所ではなく食堂の一角で開かれたというエピソードもありました。

 

それでも阪神の黎明期を支えた藤村選手には多くの人望があり「ミスタタイガースは藤村だけ!」というファンが大勢いたり、ミスタープロ野球こと長嶋茂雄さんは藤村選手に憧れてサードを守っていたほど素晴らしい選手だったんですよ!

 

通算記録

試合  1558

打率  .300

安打  1694

本塁打 224

打点  1126

===(投手時代)===

登板  76

先発       35

勝利  34

敗戦  11

奪三振 183

防御率 2.35

 

 

 

さあ!続いての永久欠番

 

背番号11

 

この背番号を背負っていたのは

 

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2代目ミスタータイガースこと村山実選手です!

 

なぜ村山選手が2代目ミスタータイガースと言われるか、もちろん実力も大いに影響していますが、あるエピソードが有名です。

 

関西大学からタイガースに入団した村山選手。

1952年にオープン戦で初登板をするのですが、なんとこの試合こそ初代ミスタータイガース藤村富美男選手の引退試合でもありました。

 

この数奇な初登板からプロ野球の人生が始まった村山選手はルーキーイヤーから大活躍をします。

 

初登板は400勝投手金田正一に投げ勝ち勝利を挙げると、シーズン18勝、防御率1.19の成績をあげ沢村賞を受賞します。

※なおこの年の新人王は新人記録かつホームラン王の桑田(大洋)

 

64年にエースとして優勝に貢献すると、65年には26勝、翌年には24勝をあげ2年連続の最多勝投手となり阪神のエースとして君臨します。

 

村山選手の特徴として、まさに出塁すら許さない圧倒的な投球が持ち味で、1970年の戦後唯一の防御率0点台(0.98)や日本記録WHP0.95を記録しています。

 

そんな村山選手の終生のライバルは長嶋茂雄選手。

天覧試合でのサヨナラホームランが有名ですが、通算では333打席対戦して、打率.281、21本塁打、39三振とまさに互角の戦いを繰り広げてきました。

 

通算記録

 

登板  509

先発  348

勝利  222

敗戦  147

奪三振 509

防御率 2.09

 

 

【タイトル】

最多勝利   2回 

最優秀防御率 3回

最多奪三振  2回 

最高勝率   1回

MVP                  1回

B9                     3回

 

 

 

最後にご紹介するのは

 

背番号23

 

この背番号といえば「牛若丸」こと吉田義男選手です!

 

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1953年に阪神へ入団すると1年目からレギュラーを獲得。

 

2年目には盗塁王、3年目には最多安打に輝くなど、理想的なトップバッターとして活躍をします。

 

通算350の盗塁や1864本の安打などバッターとしても非常に優れていますが、何よりも評価されたのが華麗なるショートの守備。

 

17年の現役生活中、15度のリーグ最多守備機会を記録するなど数々の日本記録を樹立しました。

 

現役を引退後は3度も阪神の監督を務めており、1985年には球団史上唯一の日本一に導きました。

 

永久欠番といえば、ホームランを量産したスラッガーや三振を取りまくるエースピッチャーが認定されることが多いですが、吉田選手のようないぶし銀の選手が指定されることは異例であり、ターガースファンからとても愛されていたのがよくわかりますね!

 

 

通算記録

試合  2007

打率  .267

安打  1864

本塁打 66

打点  434

===(監督時代)===

試合   1051

勝利   484

敗戦   511

Aクラス 4回

Bクラス 4回

優勝     1度

日本一    1度

 

【タイトル】

盗塁王  1度

最多安打 1度

B9              9回