2年目のジンクスってホント?新人王の翌年の成績を調べてみた⑥
この記事は2年目のジンクスシリーズの第6弾です!
前回の記事はこちらをどうぞ!
1993年
新人王獲得時
登板 14
投球回 109
防御率 0.91
勝利 7
敗戦 2
セーブ 0
2年目の成績
登板 14
投球回 15
防御率 5.40
勝利 1
敗戦 2
セーブ 3
新人王獲得時
登板 54
投球回 74
防御率 2.80
勝利 7
敗戦 2
セーブ 5
2年目の成績
登板 54
投球回 60.2
防御率 3.56
勝利 4
敗戦 2
セーブ 6
ガラスのエースこと伊藤智久投手の登場です
入団一年目。150kmの速球と球史に残る抜群の切れ味のスライダーを武器にセリーグの強打者たちを抑えに抑え、投球回が100を超えたのにかかわらず、防御率0点台という圧巻の記録を残しています。
しかし翌年、前年の投げ過ぎがたたり、わずか15イニングの登板にとどまります
入団一年目の熱湯投が選手寿命を大きく削る魂の一年となりました。
杉山投手は伊藤投手と違い、中継ぎでの新人王受賞となっています。
一年目から大車輪の活躍を見せましたが、翌年も54試合に登板し、2年続けて結果を残しました。
1992年
新人王獲得時
試合 121
安打 91
打率 .245
本塁打 8
打点 0
盗塁 4
2年目の成績
試合 128
安打 98
打率 .244
本塁打 1
打点 16
盗塁 6
高村裕
新人王獲得時
登板 28
投球回 180
防御率 3.15
勝利 13
敗戦 9
セーブ 9
2年目の成績
登板 23
投球回 132.1
防御率 4.96
勝利 5
敗戦 11
セーブ 0
中日と阪神で活躍した久慈選手はバッティングこそ派手ではありませんが、堅実な守備を武器としてレギュラーを獲得しています。
打撃成績も2年連続で同水準をキープしており、2年目のジンクスには当てはまらない渋い活躍をみせてくれました。
一方パリーグの高村投手は近鉄野手の加護もあり、13勝をマークします
翌年、勝ち星は5勝と大きく落ち込み、一年目がキャリアで唯一の二桁勝利となっていますが、毎年コンスタントに勝ち星を重ねており、通算83勝をマークしました。
1991年
森田幸一
新人王獲得時
登板 50
投球回 89
防御率 3.03
勝利 10
敗戦 3
セーブ 17
2年目の成績
登板 41
投球回 91
防御率 4.05
勝利 6
敗戦 5
セーブ 4
新人王獲得時
登板 28
投球回 185
防御率 3.55
勝利 12
敗戦 9
セーブ 1
2年目の成績
登板 24
投球回 143.1
防御率 3.27
勝利 6
敗戦 8
セーブ 1
日本人史上初のメジャーリーグへの金銭トレードを経験した長谷川投手です
中継ぎのイメージが強いですが、入団当初は先発で活躍しており、180イニングを投げています。
翌年も防御率自体は同水準を保ちますが、前年に比べ40イニング近く登板機会が減り、勝ち星も半減しています。
中日の森田投手は投手陣の便利屋として、50登板、二桁勝利、二桁セーブという活躍を果たします
翌年も起用法が定まらず、全体的に成績を落としてしまいました。
1990年
新人王獲得時
登板 50
投球回 88.1
防御率 3.26
勝利 4
敗戦 5
セーブ 31
2年目の成績
登板 29
投球回 45.1
防御率 3.18
勝利 0
敗戦 3
セーブ 2
新人王獲得時
登板 29
投球回 235
防御率 2.91
勝利 18
敗戦 8
セーブ 0
2年目の成績
登板 31
投球回 242.1
防御率 3.05
勝利 17
敗戦 11
セーブ 1
ドラフト史上最多の8球団に指名された野茂英雄投手、その実力を入団一年目から大いに発揮します。
18勝をあげたこと以上に235イニングを投げ、287奪三振を奪った投球に日本中が湧きました。
翌年もそのイニングイーターぶりを発揮しており、242イニングを投げ17勝をマークしています。
対するセリーグの新人王は現在中日ドラゴンズの監督を務める与田剛投手です
その右腕から放たれる豪速球は最速157kmをマークし、スピードガンの申し子と言われました
しかし翌年以降は一年目の疲労が響きじょじょに成績は下降線へと入っていき、伝説の豪速球は鳴りを潜めていきました。
1989年
新人王獲得時
試合 120
安打 113
打率 .263
本塁打 5
打点 27
盗塁 32
2年目の成績
試合 71
安打 46
打率 .228
本塁打 2
打点 8
盗塁 6
酒井勉
新人王獲得時
登板 36
投球回 154.2
防御率 3.61
勝利 9
敗戦 7
セーブ 9
2年目の成績
登板 31
投球回 105.1
防御率 4.10
勝利 6
敗戦 5
セーブ 5
90年代のヤクルトを支えた笘篠選手は名門 上宮高校ー中央大からドラフト3位で入団しています。
一年目からレギュラーを獲得しますが、苦手のバッティングを伸ばすことができず、一年目の113安打がキャリアで唯一の年間100安打となっています。
一年目に高水準の成績をあげますが、その後思うように成績を伸ばせず、93年の中盤に黄色靭帯骨化症の難病をわずらい、リハビリに励みますが、その後復帰することができず引退してしまいます。
今回の年代の選手は、一年目に好成績を残しても、なかなか連続して結果が残せなかった選手が多かったのではないでしょうか。
年を遡るほど、2年目のジンクスが色濃くなってきている印象ですが、80年代の選手はどうだったのでしょうか。