【本拠地】12球団のホームグラウンドの歴史【ペイペイドーム記念】
たまたまツイッターを見てたら、「ペイペイドーム」なるものがトレンド入りしていて、そんな球場あったっけな?と調べてみたらヤクオフオームの新名称なんですね
さっそく現役選手が反応していたり
今までは
— 石川 柊太 (@isikawaZZZ) October 30, 2019
「このヤフオクで」って言ってたのが
「このペイペイで」になるのか。
支払い?#ペイペイドーム
ツイッターのおもちゃにされています
ヤフオクドームがペイペイドームに名前が変わるそうなので、もっとなんか他のないか選手権を開催します。
— 坊主 (@bozu_108) October 30, 2019
せっかくの機会なので、12球団の本拠地について調べてみました!
巨人
日本プロ野球誕生以来、多くの名勝負を演じてきた後楽園球場
1988年、その跡地に誕生したのが東京ドームです。
こけら落としは3月18日のOP戦で、吉村禎章がホームランを打って賞金100万円を獲得しています。
その年の4月には来場者数100万人、1998年には1億人の来場者数を記録し、日本史上最大の集客施設として活躍します。
北海道移転前のファイターズも一時期、東京ドームを使用していましたが、2003年を機に移転。
その際、マスコットキャラクターのファイティーの役目も終了する予定でしたが、女性ファンを中心に嘆願書が集まり、ファイターズの東京ドーム主催試合でたびたび復活するようになりました。
ちなみに今シーズン限りで引退する阿部慎之助選手は、東京ドームでの通算最多本塁打の記録保持者でした。
横浜
2018年に球場開場40周年を迎えた横浜スタジアムですが、前身は1874年に居留外国人のためのクリケットグラウンドでした。
現在では当然のように行われる国際野球試合(WBC、プレミア12)ですが、日本初の国際野球試合は1896年に横浜行われた「旧制第一高校vs横浜在留米国人チーム」の試合でした。
1948年には日本プロ野球初のナイター試合が行われます。
その後、球場が老朽化したことをうけ、1978年に「横浜スタジアム」が誕生
こけら落としは4月4日に行われた「大洋vs巨人」の試合で、4−1で大洋が勝利しました。
長い低迷期もありましたが、DeNAの買収以降、人気・実力ともに急上昇しており、2019年には新たにウィング席を増席し、さらなる人気獲得へ球団が盛り上げてくれています。
現在では、阪神タイガースの本拠地として、高校球児の憧れの場として存在する甲子園球場ですが、設立当初は「全国中東学校優勝野球大会」を開催するための球場でした。
日本初の大規模多目的野球場であるのにも関わらず、収容人数は日本最大であり、2019年の高校野球選手権の総来場者は84万人、阪神主催ゲームとしても300万人を収容しました。※甲子園期間の大阪ドーム来場者なども含む
よく紹介されていますが、甲子園球場の”甲子園”の由来は、開場年である1924年が十干十二支の最初の組み合わせである甲子年であり、縁起がいいから甲子園大運動場と命名されました。
どこが縁起がいいのかは知りません。
かなり古い球場ではありますが、中堅120m、両翼110mは現在の目線で見てもかなり広いため、あのベーブルースも「デカすぎとちゃいます?」と言い放ったそうだ。
※正式には「too big」らしい
広島
12球団で一番新しい本拠地球場マツダスタジアムです。
2000年に開場したのですが、そこに至るまでは苦難の道のり、、
もともとカープは球団職員をメージャーや地方球場のスタジアムに派遣し、施設の視察をさせるなど、球場運営には積極的な球団でした。
1990年代には地元経済界や市の意向もあり、ドーム球場のプランが続々と提言され、球場移転・もしくは改修の声が高まります。
財政悪化もあり、ドーム建設の声は下火になりますが、老朽化がひどい広島市民球場は、外野フェンスの破損や電光掲示板の故障があいつぎビジターチームの不満が高まります。
2000年代にはいって本格的に議論が重なりますが、「改修か移転か」「ドームか屋外か」で散々揉めに揉め「カープは球場をよくする気はあるのか!」と不満が募ります。
そんなか2004年になんとか「複合施設型オープン球場案」が発表され、一件落着するかと思われましたが、なんと計画のメイングループが広島進出を断念し、12月1日に計画が完全に白紙に戻ります。
近鉄の消滅問題を受け、議論が本格化すると「改修では近隣に迷惑がかかるし試合を進めながら行うのは難しい」との判断もあって新球場設立を検討することが2005年に決定しました。
これを受けて、新球場設立予定の2009年にプロ野球オールスターの開催も決定し、完全に一件落着するかと思われましたが、新球場開催のコンペで採用された案がかなりひどく、球団内部やファンから不満の声が高まり、再コンペが決定します。
その際コンペも問題で、球団は90億円までの予算でコンペを組みますが、あまりの予算の少なさにマスコミからの苦情が殺到し、コンペの募集案ですら白紙に戻されることとなりました。
まじでオールスター開けないんじゃね?と思われましたが、2006年9月になってようやく新球場案が決定し、その後着工を経て、2009年3月28日に完成式が行われました。
こけら落としは4月10日のドラゴンズ戦で。3−15の惜敗でした。
内野席のファールグラウンドがかなり狭く、臨場感ある観戦が醍醐味で、「パフォーマンスシート」や「砂かぶりシート」など多様なスタイルでの観戦ができるのがマツダスタジアムの特徴となっている。
中日
10.8決戦が行われた2年後の1997年にナゴヤドームが開場されます。
ナゴヤの文字が漢字なのは、前本拠地であったナゴヤ球場だったことと、書き数が8文字で縁起がよかったことから決定したそうです。
前身のナゴヤ球場は全燃事件や10.8決戦があって派手なんですが、ナゴヤドームはそんなに大きな事件がなかったです。
それでナゴヤドーム初の公式戦となる開幕戦で、立浪和義が放った開幕戦先頭打者ホームランは全ドラゴンズファンの思い出として語り継がれています。
ヤクルト
現在は東京ヤクルトスワローズの本拠地として知られますが、1926年の開場時は東京六大学や都市対抗野球大会で使用されていました。
戦前はプロ野球チームが使用することはなく、アマチュア野球の聖地として野球ファンに愛されていましたが、1962年に東映が使用を開始し、翌年にスワローズが入れ替わる形で衣装を開始しました。
プロ野球としては珍しく、球場の使用権は大学野球に優先権があり、たびたび試合開始が遅れるようなことも起きています。
ちなみに初のプロ野球公式戦は「金星スターズvs中日ドラゴンズ」の試合であり、スワローズは全く関係がありません。
パリーグ編は現在執筆中!
ペイペイドーム、どう思う?個人的には、う〜んかな
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