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【総勢54人】フレッシュオールスターMVPのその後を調べてみた①

若手の『登竜門』といわれるフレッシュオールスターMVP

 

この称号を獲得すると、必ず一軍でも活躍できると噂されていますが、果たして本当でしょうか?

 

と、いうことで、フレッシュオールスターが開始された1963年以降

 

MVPを獲得した54選手を調査し

 

その後の活躍を6段階でまとめてみました!

 

果たして本当にフレッシュオールスターMVPを獲得すると一軍でも通用するのか、、

 

徹底検証です!

 

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  • SSランク レジェンド級 (球史に名を残す活躍)
  • Sランク タイトルホルダー級 (タイトル級の成績or長年レギュラーで活躍)
  • Aランク 1軍レギュラー級 (野手:1000試合 投手:300試合or50勝 クラス)
  • Bランク 1軍戦力級 (野手:通算500試合 投手:150試合or30勝 クラス)
  • Cランク 1軍出場級 (野手:200試合 投手:50試合or10勝 クラス)
  • Dランク ほぼ2軍 (一軍にほとんど出ていない)

 

 

1963-1969

 

  • 河東真(巨人) D

 

  • 迫田七郎(ロッテ) B
  • 西川克弘(広島) B 
  • 該当者なし

 

  • 佐々木考次(中日) D
  • 該当者なし
  • 該当者なし
  • 後藤和昭(阪神) B

 

初代フレッシュオールスターMVPに輝いた河東選手でしたが、一軍通算出場はわずか6試合に終わっています。

 

一方、2代目に輝いた迫田選手はMVPに輝いた64年に一軍初出場を果たすと、翌年には46試合に登板しブレークを果たします。
1964年に限りフレッシュオールスターは複数日(3日)行われており、2日目にMVPを獲得した西川投手も同年に一軍デビューを飾っており1967年には32試合に登板しています。
※3試合目は該当者なし

 

1965年にMVPに輝いた西川選手は、翌年にプロ入り初HRを放っていますが、その後活躍することはできず、通算試合出場も64試合に終わっています

 

1966年は開催なし
1967-1968年は該当者なしという、さっそく寂しい展開が続きます。

 

そんな中、1969年の後藤和昭はMVPを獲得した翌年から試合出場を増やし続け、プロ入り5年目の1973年には117試合出場しサードのレギュラーを獲得。
初の規定打席にも到達しました。
しかし、のちに入団してくる掛布雅之との競争に勝てず、この年がキャリアハイとなってしまいました。

 

1970-1974

 

 

1970年の佐藤は、MVPを獲得した年に一軍で2試合に登板するも防御率16点代と散々な成績に終わっており、この年以降、一軍での登板はなかった。

 

なかなか渋い選手が続くなか1971年の大島選手は球史に残るバッターへと成長しており、初代Mr.フレッシュオールスターといっても過言ではないでしょう!
MVPに輝いた71年には7本塁打を放っており、13年目には36HRでホームラン王も獲得しています。
通算2204安打、382本塁打は文句なしのSSランクです!

 

翌年の今西選手は通算1試合の出場。翌年の尾崎選手も通算2試合と寂しい結果が続きます。

 

しかし、1974年の栗橋選手は長年近鉄を支えたクラッチヒッターとして活躍します。
入団3年目にはレギュラーを獲得すると、5年目に規定打席到達を達成
プロ入り通算16年で215本のホームランを放ち、B9にも3度輝いています。

 

 

 

1975-1979

 

  • 笹本信二(阪神) B
  • 簑田浩二(阪急) S
  • 島田誠(日ハム) S
  • 屋敷要(横浜) S
  • 加倉一馬(西武) D

 

1975年の笹本選手は控え捕手として3球団を渡り歩きました。

 

1976年の蓑田選手は阪急と巨人で活躍した外野手で、8年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞した名手です。
通算盗塁250、通算本塁打204と長打と走塁も兼ね備えた名選手で、福本と並んで最強の1.2番に数えられています。

 

1977年の島田選手は走攻守揃った名選手として日ハムを盛り上げます。
通算352盗塁の走力に6度のダイヤモンドグラブ賞。最高打率.318を記録した、1.2番タイプの非常に優秀な中堅手でした。

 

ハマのスパーカートリオの一角。屋敷要もフレッシュMVPを受賞しています。
巨人横浜でセンターを守った守備力だけでなく、3年連続で受賞した盗塁の技術力の高さは球界屈指の実力でした。

 

3年連続で走塁技術の高い名選手が登場していましたが、1979年の加藤選手は通算68試合の出場で引退されています

 

1980-1984

 

 

ドカベンの愛称で親しまれた香川選手もMVP受賞者です
高卒1年目には8本のホームランを放ち、いきなり一軍で活躍すると、入団4年目には規定未満ながら.313 15HRをマークしB9に選ばれます。
その後は増やしすぎた体重が仇となり大きな活躍はできませんでしたが、80年代のパリーグを語る上では欠かせない選手です。

 

1981年の藤倉選手は俊足攻守の内野手として通算182試合に出場しています

 

現在Youtuberとしても活躍する金村選手は年間フル出場を3度達成しています。
よく勘違いされるのは、阪神OBに間違われますが、在籍経験はありません

 

1983年の畠山選手は投手として入団し、フレッシュオールスターでMVPを獲得。
翌年には規定投球回にも到達しました
しかし、入団5年目に野手へと転向すると、しばらく低迷しますが移籍先の横浜で才能が開花。128試合に出場し、.281の成績で規定打席に到達し、オールスターにも選出されました。
この畠山選手がNPBで唯一、規定投球回&規定打席到達の二刀流レコードの持ち主です。

 

1984年の吉村選手はNPB通算5試合に終わっています。

 

 

 

とりあえず20年分の選手を調査してみましたが、全員が活躍しているわけでなく、レジェンドクラスもいれば、いつ軍にほとんど出場したことがない人がいたりと様々な選手がいました。

 

しかし、その傾向も80年代に入ると緩和されていったので、現在に進みにつれてどうなっていくのか、みていきましょう!

 

 

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